夢に終わった日本海軍の「漸減邀撃戦」
「艦隊のワークホース」こと万能軍艦の実像に迫る!②
■漸減邀撃に賭けた「長槍の名手」(日本海軍編)
明治維新以降の近代の日本海軍は、イギリス海軍を手本にしてきた。そのため駆逐艦が導入されたときは、当然ながら水雷艇を狩ることに重点が置かれていた。
しかし第一次大戦後、アメリカやイギリスが軍事費削減と世界平和の維持を建前としつつ、裏では戦勝国の仲間入りをした日本の台頭を抑える目的で案出したワシントン、ロンドンの二つの海軍軍縮条約をやむを得ず日本も批准。その結果、日本は各種軍艦、特に戦艦や巡洋艦、空母など主力艦の保有隻数を、アメリカやイギリスに比べて少なく抑えられてしまった。
だが当時、日本海軍はすでにアメリカを仮想敵国と想定。本土のウエストコーストから来寇する優勢なアメリカ大艦隊を、劣勢の戦力でいかに迎え撃つかが考えられていた。その結果、生み出されたのが漸減邀撃思想である。これは、日本本土に迫るアメリカ大艦隊の主力艦を、まずは潜水艦や甲標的(特殊潜航艇)、中攻(双発爆撃機)、駆逐艦といった、軍縮条約の制限が緩い補助兵器で邀撃し「漸減」させる。そしてアメリカ大艦隊の主力艦の数が減ったところで、日本海軍の主力艦が最終的な「邀撃」を加えて殲滅するという考え方である。
さらに日本海軍は劣勢を補う手段として、こちらの「リーチ」を長くすることで、敵の「リーチ」が届かない遠方から一方的に「拳」を見舞う発想のアウトレンジ戦法を採用。かの有名な、土日の休みを返上するという意味の「月月火水木金金」の厳しい訓練を通じて、各種兵器の命中精度の向上を図った。
その一環として、他国の魚雷に比べてはるかに駛走距離が長く炸薬充填量も多い酸素魚雷を開発し、これを漸減邀撃の主戦兵器のひとつに位置付けた。
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